天然記念物

Ⅰ市立N小学校の理科室には無数の標本があった。
特に液浸標本の充実ぶりは類を見ない。
室内に収まりきれない大小の瓶詰めが、
廊下の両側まで侵食していた。

中でも際立って目を引くのは、
オオウナギのホルマリン漬けだ。
今はビルの下に埋もれてしまった、J池で捕獲されたものだ。

J池は小さな池ながら、かつては、
オキフエダイ、ヤカタイサキ、シマイサキ、ユゴイ、オオウナギなど、
南海産の珍魚が数多く生息していたという。
温泉が湧き、年間を通して28度の水温が保たれていたためだ。
大正末期に特有魚類生息地として、国の天然記念物に指定されたが、
温泉湧出の変動などの理由で、特有の魚類が見られなくなり、
昭和の終わりになって、指定解除されてしまった。

このオオウナギ、胴体の直径は10センチ以上、
長さは2メートル近い。
ウナギの顔をしているが、肌はまだら模様。
ウナギというよりも、太ったウツボに見えなくもない。

縦長の大きな瓶に入ったその威容に、
ぼくは、すっかり呪縛された。
暇さえあれば一人で眺め入り、
そいつがJ池を、ぬめぬめと這いずり回る様を妄想した。

その日も、そうだった。
給食をさっさと切り上げた後の、昼休みのことだ。

不意に、がくんと、下から突き上げるような衝撃。
激しい縦揺れがそれに続く。
地震だ。

もともと地震の多い地方であるが、
今回は、ちょっと普通ではない。
激しい揺れは一瞬だったが、
長い、ゆっくりしたうねりが、延々と続く。
時化に翻弄される船のようだ。

オオウナギの瓶が、スローモーションのように倒れる。
オオウナギが飛び出す。
生きている。
うねうねと、ぼくに迫ってくる。
くっついた。
糊みたいなぬめり。
すぐ固まって離れなくなる。

オオウナギは、ぼくを引きずって、
地震の波の中を、くねくねと泳いでゆく。

着いたのはY神社。
1メートル以上の巨大なシダ、リュウビンタイが繁茂している。
この熱帯性巨大シダの自生北限地といことで、
ここもまた、天然記念物に指定されていた。

オオウナギは、うねうねと、
リュウビンタイの森の中に入ってゆく。

いきなり、ぴ~んと撥ねるように体を振った。
ぼくの体が宙に舞う。
跳ね飛ばされたのだ。

 

ぼくは今、狭いところにいる。
膝を抱え、胎児の格好で。
透明な液体に包まれて、胎児のように安らかだ。
でもこれは、羊水ではない。
ホルマリンである。

N小学校の廊下で、ぼくは、
瓶詰めになっているのだ。