この木のキノコ

多肉植物の鉢植えにキノコが生えた。
生白いブナシメジみたいなやつが一本。
昨日は無かったような気がするのだが…


けっこう日当たりのよい窓辺に置いてある。
西日もよく当たるし、じめじめもしていない。
とてもキノコに向いた環境とは思えない。
この不気味な多肉植物のおかげだろうか。


マンドラゴラみたいな、人の形をした根っこが、
鉢の中に埋まっているのかもしれない。
あるいは、死人の血から生えたアルラウネのように、
幹に傷をつけると、どす黒い血を流すかもしれない。


この鉢植えは、Mさんにもらった。
サボテンと羊歯を合わせたような、わけのわからないやつで、
今のところ、花を咲かせたことはない。


Mさんが一体、どういう意図でこれをプレゼントしてくれたのか、
見当もつかない。
毎度のことだ。


Mさんは、誰からも愛される、という月並みな褒め言葉がぴったりの、
笑顔のすてきな女性だ。
自分はとても、普通で、まともで、平凡な女性だと思っている。
一見すると、確かに、その通りだ。


ところが、ほんの数ミリずれている。
その数ミリのずれこそ、たちが悪いことこの上なしなのだ。
大きくずれてしまえば、本人もそれに気がついて、
軌道修正しようとするだろうけど、
ずれが小さすぎるから、それに気がつかず、直そうともしないのだ。
ずれは大きかろうが小さかろうが、しかし、ずれにほかならない。


Mさんは、自分の見る目は絶対正しいと思っている。
だから、ぼくへのプレゼントも、ぼくにぴったりだと自信を持っている。
それがこの、わけのわからない多肉植物なのだ。


どこから来たのか知らないが、どこかできっと、
キノコとお友達なって、胞子をプレゼントされたのだろう。
それがこの植物の持つ親和力によって、
必ずしも適した環境ではないにもかかわらず、
芽を出すに至ったのだろう。


あれこれ思い巡らすうちに、しかし、
多肉植物のせいばかりにするのは、かわいそうな気もしてきた。
それは同時に、間接的ではあるけれども、
せっかくのプレゼントをくれたMさんのせいにすることにもなる。
どこからか胞子がやって来て、この部屋に、
勝手に闖入した可能性のほうが高いではないか。


そういえば、昨日の観劇が怪しい。
なかなかチケットの取れない芝居だった。
やっと取れたプラチナチケットを無駄にするのが惜しくて、
体調が思わしくないにもかかわらず、無理をして見に行ったのだ。


満員に近い客を呑み込んだ中ホールは、なんだか妙にキノコ臭かった。
そんな空気のせいか、咳き込むと止まらなくなった。
ほかの観客に迷惑を掛けてはいけないと、口を押さえて必死で我慢する。
我慢するとますます苦しくなって、脂汗をかきながら、
押さえた手の中で、ぐふぐふと唸っていた。


気がつくと、同じことをしている観客が最低数十人、
いや百人以上もいた。
自分だけではないのだ。
大勢がいっしょにいながら、孤独に、必死で、咳を抑えている…


そんな様を思い出しただけで息苦しくなり、頭もがんがんしてきた。
たちの悪い風邪でも、もらってしまったのかもしれない。
ウイルスと胞子が入り乱れながら、劇場の大空間を、
うじゃうじゃ舞っている様を想像したら、吐き気さえしてきた。
口を押さえて、洗面所に急行する。


目の前に、生白く横に長い楕円形があった。
鏡の中で、首から上がキノコの傘になっていた。