色即是空な平衡

福岡伸一氏が気になっていた。
生物と無生物のあいだ』はぜひ読んでみたいと思っていたのだが、
根がへそ曲がりなものだから、あれだけ売れてしまうと、
警戒心が募り、忌避心が頭をもたげてくる。


書店で『世界は分けてもわからない』が平積みになっているのを見て、
とうとう我慢できなくなって、読むことにした。
読んだのはこの新刊ではなく、ずっと気になっていた、
ベストセラーのほうである。


文章がうまいのに感心した。
すらすら読めて、しかもなかなか滋味に富んだ文章だ。
何より、難しいことを判りやすく表現する語り口がすばらしい。
一気に読了してしまった。


最も気になっていたのは、動的平衡という考え方である。


われわれの身体は、タンパク質、炭水化物、脂質、核酸などの、
分子で構成されている。
それら分子は、しかし、
そこにずっととどまっているのでも、固定されたものでもなく、
絶え間なく動き、分解と合成を繰り返しながら、出入りしている。
実体としての物質は、そこにはない。
一年前の私と今日の私は、分子的にいうと全くの別物であり、
そして現在もなお、入れ替わり続けている。


つまり、私たちの身体は、分子のほんの一瞬の「淀み」でしかなく、
私たちの生命は、分子の流れの中にこそあるのだ。
止まることなく流れつつ、危ういバランスの上にあるのが生命、
さればこそ「動的平衡」なのである。


それは僕にとって、少しも新しい考え方ではない。
むしろ懐かしく、近しいものとすらいえる。


 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
 よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。


言うまでもなく、鴨長明の『方丈記』の冒頭である。
無常観を語ったものともいわれるが、
ポジティブに捉えなおせば、まさに「動的平衡」そのものではないか。


僕が即座に想起した、もうひとつは、色即是空であり、空即是色である。


われわれ自身はもちろんのこと、草木虫魚、森羅万象、
突き詰めれば、同じ微細な粒子(微塵)から成っている。
いや、実は、粒子ですらない。
実体のないエネルギーのようなもの、つまり空(くう)なのである。
これが色即是空


その離合集散がこの世の中である。
すべては在り、すべては無い。
すべてはひとつである。
これが空即是色。


仏教の象徴的な宇宙観・世界観が、
最新の科学の成果に驚くほど符合していることは、
先人の多くも指摘していた。
ただ、それを宗教の側から唱えると似非宗教、
科学の側から説くと疑似科学と目され、
いずれにしても胡散臭い目で見られるのが常だった。


その意味で、福岡氏のような説得力のある語り手の出現は、
本当に喜ばしいことだ。


(2009/10/13の日記より転載)