鬼の目には水晶の涙

涙の大安売りである。
今に始まったとではないが、涙の価格は下落する一方だ。


ほら、今も動物番組で、ゲストの、
くしゃくしゃになった泣き顔が、大写しになっている。
美しくない。


本物の美しい涙を何度見たろうか。
ひとつだけ、はっきりと覚えているものがある。
中学一年の終わりに見た、バクダンの涙。


バクダンは推定五十代の音楽教師だ。
小柄で、やせこけた色黒の女性である。
とにかく厳しい。怖い。
怖い先生が絶滅しつつある中で、最後の生き残りだった。


授業中、ちょっとでも気を抜こうものなら、
たちまち爆弾を落とされる。
楽しいはずの音「楽」の授業なのに、
授業中はいつも氷の緊張が漲っていた。
ぴ〜んとはりつめていた。


さすがに体罰こそなかったが、生徒の誰もが、
叱られた思い出しかなかった。


1年間、その地獄の授業に耐えなければならなかった。
しかしそれは、最後の一年だった。
ぼくらにとっても、バクダンにとっても。


定年で、すべてに終止符を打つその日、
バクダンは、生徒の名前を順に呼んで、起立させた。
叱るためではない。
最後の言葉を贈るために。


たかだか一年間、音楽の授業で触れあっただけの関係だ。
生徒のことを、そんなに知っているわけでもあるまい。
それでも懸命に、贈る言葉を探る。


「たこやま(=ぼく)、君はいつも、
ふてくされたような顔をしていたけど、
本当はやさしくて、まじめな、いい子なんだよ、ね?
音楽だって大好きなんだ。
あんまり話はできなかったけど、これからも、
そういう気持ちを大切にして…」


一人また一人と進むうちに、バクダンの顔が崩れてゆく。
声が震え、かすれてゆく。
ついに涙があふれる。
そんなバクダンは、もちろん初めてだった。
美しかった。


水晶の涙を湛えたバクダンは、
拍手に送られて、教室を去っていった。