極美というレジスタンス〜アシク・ケリブ

なぜか急にまた、パラジャーノフに会いたくなって、
DVDの『アシク・ケリブ』を買い求めた。


セルゲイ・パラジャーノフを初めて知ったのは、いつだったろうか。
その名を知るや、『ざくろの色』の貴重なVHSをやっとのことで入手した。
それは映画というものに私の脳が認めうる、許容範囲を越えていた。
映画の文法も文化の文脈も、未知のものだった。
そして何より、暴力的なまでの美しさには、息が止まりそうになった。


パラジャーノフに再会したのは、それからだいぶ後になってからだ。
仕事の依頼を受けた初対面の編集者が、大の映画好き、しかも、
かなりマニアックな映画好きだったのだ。
仕事を離れた余談の中で、唐突にパラジャーノフの名前が出た。
パラジャーノフを語れる相手に初めて会えた、と言って、
彼女は、しきりに感激してくれた。


この『アシク・ケリブ』も、ストーリを語ることにあまり意味がないのは、
ざくろの色』の場合と同様だが、一応の筋だけは、ざっと辿っておこう。


心優しき吟遊詩人アシク・ケリブは、領主の娘と恋に落ちる。
しかし娘の父が結婚を許さなかったため、
身を立てることを誓って、千日の旅に出る。
幾多の苦難を乗り越えながら旅を続ける詩人の前に、
白馬に乗った聖人が現れ、「恋人が望まぬ相手と結婚させられる」と告げる。
詩人は一日に千里を走る聖人の白馬で恋人の元へ…


旧ソ連政権の不当な迫害を生き抜いたパラジャーノフ監督の遺作である。
物語というより、寓話というより、
映像詩もしくは動く絵画として鑑賞すべき作品だろう。


深読みをして、そこから「意味」や「思想」を剔出することも、
もちろん、できなくはない。


ひと筋につながったM字型の眉と、その下に輝く瞳に、
強固な意志を見て取ることもできよう。


しばしば登場するざくろの実は、赤すぎるほど赤い。
その「ざくろの色」が、ある種の象徴と見ることもできよう。


けれども私は思う。
ラディカルな美はそれ自体、レジスタンスなのだ。


(2009‎年‎3‎月‎11‎日の日記より転載)