いはうやうのない名文

名文家で知られる、ある作家の愛用語であった。
言いようのない、では陳腐そのものだが、
いはうやうのない(いおうようのない)には、
独特の重厚なリズムがある。


すっかり気に入り、真似して使ってみた。


いはうやうのないリズムに魅せられたぼくは、
ことさら歴史的かなづかひを弄し、
いはうやうのない小説もどきを、書き殴つたのであつた。


ところが、あるとき、はたと気づいた。
いはうやうのない、は結局、
言いようのない、とか、名状しがたい、と同レベルの、
投げやりな形容句である。


言いようがないならば、言うな。
さもなければ、なんとしても表現すべきだ。


いはうやうのない、の一言で片付けるのは、
逃げであり、無責任であり、
物書きとしての無能をさらすようなものではないか。


しかし、と、ここで改めて思い直す。
いはうやうのない天才作家の彼のことだ。
多分そんなことは百も承知の上で、
いはうやうのない効果を狙って、
あえてその言い回しを駆使していたのだろう。