目が覚めると…

目が覚めると思わぬ場所にいることが、たまにある。
なぜそこにいるのか…どころか時には、
そこがどこなのかすらわからない。


記憶が途絶えたのか、異空間に入ってしまったのか…


自分は、酒が一滴も飲めない。
酔いつぶれて正体を失くすなんてことは、あるはずがない。


記憶が途絶えたり、異空間に入ったりすれば、しかし、
酒を飲んで酔いつぶれることも、ないとは言えないか。


目が覚めたら、佐藤ユリナさんの家の、
駱駝色のソファの上だった。
假屋崎省吾氏の家にあるのと同じご自慢のソファ。
ご自慢過ぎて、汚したくないので、駱駝色のカバーで覆ってあるのだ。


ところで、佐藤ユリナさんって、誰なのだろう?
これまで一度も会ったことのない女性だ。
朝起きて初めて知ったのである。
というか、閃いたのだ。
この人は佐藤ユリナさんだって。


赤茶けたロングヘアの小柄な丸っこい女性が、
ラクマのパジャマを着て立っている。


「あと10分くらいしたら朝食だからね」


スクランブルエッグに生ハムにクロワッサンにオレンジジュースの朝食を、
白い円卓でさっと済ませた。


さっと済ませたのは、ユリナさんのほうだ。
僕はオレンジジュースだけを飲み干して、ぼんやりしている。


「どうしたの?」


「卵とハムは食べられないような気がする。
クロワッサンも、あまり好きではないような気がする。
よくわからないのだけれど…」


「無理しなくていいよ。
ジュース、もっと飲む?」


「いや、もういい。
ありがとう」


「じゃ、あたし、そろそろ出るから…勝手に帰ってね。
鍵置いてくから、掛けてポストに入れといて」


テレビをつけたら、「おかあさんといっしょ」をやっていた。
8時40分から始まる「プチプチ・アニメ」を見終えたら、
出ることにした。


マンションの1階で502号室の郵便受けに鍵を放り込む。
住所を確かめると、千葉県浦安となっていた。


いたずらに、それでいて何かに導かれるように歩き、
地下鉄に乗り、乗り換え、乗り継ぎ、
歩き回っているうちに自宅に着いた。


午後6時を回っていた。


着の身着のままで、しばらくぼんやりとベッドに横になっていると、
電話が鳴った。


「突然失礼します。
川村と申します。
佐藤ユリナの知り合いの者です。
不躾なことを伺って申し訳ありませんが、
佐藤ユリナ、ご存知ですか?」


知っていると言えば、面倒なことになりそうな気がしたので、
とりあえず、知らないと答えた。


「実は…婚約者でして。
今朝から行方不明なんですよ。
昼食を共にする約束だったんですが、いつまで待っても現れない。
携帯に電話しても出ないので、何かあったんじゃないかと…。
思い当たる方面を片っ端から当たってみたら、
そちらのマンションに入るところを見かけたという人がいまして。
いろいろ調べてお宅の電話番号を知った次第です。
…失礼しました。
もし何かめぼしい情報でもありましたら、お電話いただければ幸いです。
番号は携帯ですが…」


メモする振りをして、聞き流した。
というより、メモする気力もなかった。


なんだか頭の中のガラスが、湯気で曇ったような感じだった。
こういうときは、さっとお湯に浸かって寝るに限る。


脱衣所に入る。
誰かいる。
鏡だった。


映っていたのは、佐藤ユリナだった。