サイヒの祭り

長実雛罌粟がぽつぽつとオレンジの頭を擡げ始めた。


「もうすぐお祭り…」


サイヒさんが植え込みの雛罌粟の群れを見つめながら、
ぼそりと言う。


僕は10年以上ここに住んでいるけど、
そんな祭りのことは知らない。
いつも地上から10メートルより上のことと、
地下10メートルより下のことばかり見ているのだから仕方がない。


サイヒさんは、かっきり22年ここに住んでいる。
ここで生まれて、きょうが誕生日なのだ。
そして彼女は、いつも、しっかり地上を見ている。


「もうすぐって?」


「花時間?人時間?」


「言ってること、よくわからないけど、普通の時間」


「たぶん、人時間ね?
ならば、あと5分くらい」


「そんなにすぐ?」


「でも花時間なら、三日後だから」


「まあ、いいや。
で、場所はどこなの?」


「連れてってあげる、ついてきて」


サイヒさんの色白の顔が、ピンクにほてっていた。


よく野良猫が住み着く廃屋があった。

その右の細い道は私道。


『私道につき通り抜けお断り』


と大きな看板が立っているので、
誰もが私道であることを知っているが、
知っていながら誰もが堂々と通り抜ける。


サイヒさんも僕も例外ではない。
今もそろって、その道に入った。


そまま進むと、少し広い車道に出るはずだが、
サイヒさんは出口の直前で左折して、
2軒の家の間の狭い道に入る。


その後も同じような道を、迷路を辿るように、
右に曲がったり左に曲がったりして、
中庭のような叢に出た。


もちろん初めて来た場所だった。
四方を木造の古家で囲まれているが、
家には窓がなかったり、窓はあっても雨戸で隠されていた。


「ここ」


静かにぶっきら棒に告げるサイヒさんの顔は、
その調子とは裏腹に熱っぽかった。
紅潮していた。


紅潮…というよりも、びんたを食らった頬みたいに、
もやもやした何かの形に赤くなっていた。


その模様がいつの間にか、疎らな斑点のようになり、
斑点がどんどん増えて、重なり合ったぶつぶつになる。
ぶつぶつは赤というよりも橙色に近かった。


急に風が強くなる。
サイヒさんはぱらぱらぽろぽろとと剥蝕し始める。
ばらばらの玉のような塊となって飛散する。


そして、次々に墜ちたと思うと、
辺り一面に長実雛罌粟の花が咲き乱れていた。


そのとき、サイヒの3文字が脳内でばらばらになって舞い散った。
イヒの上にサが乗ると、花という字に化していた。


(2012年05月03日の日記より)